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伊藤 仁美です。
鳥居先生の大人の修学旅行の2日目。
気仙沼から、大船渡市、陸前高田市と、現地の様子を見て、現地の人たちから学んできました。
この日は、震災が起きてから8年3ヶ月。
2日目の朝は、希望者のみ、6時から、東洋一の水揚高を誇る魚市場の見学へ。
出発前に胡蝶蘭の前で記念撮影をしようとしたら、みんなで胡蝶蘭を隠してましたw
ホテルの入り口とロビーには、たくさんの胡蝶蘭。
キラキラしたエントランスに、復興お神輿も飾ってありました。
向かう途中で、見えた船が、一隻しか大漁の旗を掲げていなくて、不安になりながら魚市場に到着。
大漁の時は、こんなに賑やかな船がたくさん入ってくるそうです。
昨日、魚を採りに行く場所が雨だったらしく、今日は、とっても少ない。
奥の方に、1箇所だけ、カツオが少し。
赤マンボーも少し。
鳥がたくさん。
魚市場に入ったのは初めてで、いい体験をさせていただきました。
今回が、こんな感じだったので、鳥居先生が、本来の市場の写真をシェアしてくれました。
本来の市場はこんなに賑わってるそうです。
朝のお散歩が済んだら朝食へ。
昨夜、小泉部長が教えてくれた、一押しのクラムチャウダーが美味しくて、みんなで食べました。
その後はお魚市場にお買い物へ。
現地の人たちは働いているので、寄付よりも、「現地に来てお金を使ってくれること」が一番の貢献になるとのことで、みんなでお買い物。
品揃えが豊富で、生のお魚は配送も出来ます。
左上の栗ガニと、右下のタコは動いてて、ビックリしました。
阿部長商店で工場見学
2日目の最初の学びは、阿部長商店。
観光と水産業を営んでいて、震災前は53名だった社員が、震災後には87名に増えて、被災にも負けずに、成長し続けていいる、勢いのある会社です。
実は、阿部長商店さんでは、震災前に避難訓練をしていなかったとのこと。
「もうすぐ、新入社員が入ってくるから、入ってきたらやればいいよね。」と先延ばしにしていました。
それが、災いして、避難所を指示したけれど、その場所がわからない社員が多く、車で散り散りバラバラに逃げて、収集がつかなくなってしまったとのこと。
53名の従業員、全員が無事であることが確認できるまでに、一週間かかったそう。
そして、6千トンの保管していた魚がダメになってしまい、多くの損害が出た上に、近隣の人に匂いで迷惑をかけてしまった。
建物の中も外も、壊滅的。
そんな、悲惨な状況から、立ち直り、当時よりも、成長している、阿部長商店の秘訣は何か?
それは、阿部社長からの励みとなった一言。
「従業員は誰も解雇しない。継続して雇用することを約束する。」
なぜなら、建物は、壊れれば修復することは簡単だが、人と人との絆・信頼関係は、一度壊れると修復するのが困難だから。
この言葉がきっかけで、従業員の心が1つになり、これだけの成長をしています。
従業員だけではなく、入社予定の5人の新入社員が、自ら進んで会社の片付けを手伝ったとのこと。
このことが認められ、1ヶ月遅れで無事に新入社員が入社。
この入社式の写真は、さまざまなメディアにも掲載されたとのこと。
そして、ライフラインも、6月上旬に水道、7月上旬には電話が復旧。
7月下旬には一部事業を再開し、新商品を開発〜販売と復旧していきました。
今では、100商品以上もあります。
お話の後は、工場見学のために、カッパ(?)、帽子、マスク、長靴を履いて、準備します。
まずは、マニュアル通り、着替えた上から、頭から全身、コロコロで、髪の毛やホコリを取ります。
次にマニュアル通りに、丁寧に手首まで手を洗います。
3分間は洗うようにタイマーまで。
その後は、アルコールで指先の消毒。
小さい部屋の両側から強風が出てくるので、くるくる回りながら、ついてるゴミを落とします。
こんな格好をしなかればならない工場の見学は、人生で初めてなので、この後、どんな世界が見れるのか、わくわくします。
↑ 工場内には、カチカチに冷凍されたイワシがたくさん。
↑ 自社で買ったものを一度固めて、おろしてまた固める。
↑これを機械に入れると、焼いた状態で出てきます。
↑こちらの機械は、パックに自動で魚が入れられ、次に自動で調味料も出て、商品となって出てくる、優れもの。
↑ こちらは、トンネルフリーザーという機械。
マイナス40℃くらいのトンネルを12〜13分通って・・・
↑ カチコチになって出てきます。
焼いて、凍らせて、出荷するという流れで、簡単に商品が完成していました。
↑ この機械は、ギフト用の商品を包装しています。
↑ 商品が完成すると、最後は人の手と目で確認。
↑ こちらは、機械で魚の大きさを選別して箱詰めまでする、またまた優れものの大きな機械。
↑ 大きい魚はここに集められ、1つ満杯になると、なんと700キロくらいになります。
↑ 小さい魚は、こちらに仕分けられ、養殖魚のエサになります。
↑ 機械は外まで繋がっていて、車で運ばれて来た魚が、プールに入ります。
そんな、魚を盗もうと狙っているのは・・・
↑ いつも、エサをたらふく食べてる、大きな鳥。
↑ 鳥避けを、置くと、だいぶ変わるとのことです。
↑ 今日は、特別に、運搬用の大きなエレベーターに乗せてもらいました。
↑ サバを8本ずつ詰めて、中央の卸売市場に発送されます。
工場内のいたるところで、トラクターが商品を運んでいました。
工場のキツイ・キタナイ・クサイというイメージとはかけ離れた世界でした。
工場の中では、大きな優れものの機械がたくさんあったり、荷物も機械で運ぶので、重労働をしている様子は見られなかったです。
工場に入るのに、全てマニュアル化されている手順通りに、念入りにキレイにしましたし、工場内もキレイでした。
そして、魚も新鮮なうちに処理すれば、匂いもあまり出なくて済むので、ニオイも少なかったです。
そして、今朝の市場に全然、魚があがっていなかったことから、自然と関わるお仕事の大変さを実感したので、どんな風に工夫してるのか気になったところ、
魚が上がらないと休みというところもあるけれど、阿部長商店では、魚が上がらない日は、他の仕事の応援という体制が整っているので、従業員も安心して働けるとのことでした。
こうして、被災しても、復旧・復興して成長している阿部長商店からも、人と人との繋がりの大切さを学ばせていただきました。
ホントは定休日の活魚すごうで貸切お昼ご飯
2日目のランチは、ホントはお店の定休日にも関わらず、相馬さんの交渉で、特別に、しかも貸切で、豪華なお昼ご飯を用意してくださりました。
素敵な空間で貸切は特別感があって嬉しいです。
お昼も、こんなにたくさんの美味しいお料理。
左上の写真は、マンボーの腸の部分。
昨日のマンボーとは部位が違い、教えてもらわなければ、同じマンボーとわからなかったです。
壊滅した陸前高田市
お昼から、佐々木さんが壊滅した陸前高田市のことを、お話してくださりました。
船員だった佐々木さんは、「太平洋の深さ、怖さをバカにするなよ。」と教わっていて、いつ津波がくるかわからないから、家族で、もし津波が来た時は、どうやって避難するか、どこに避難するかを、いつも家族で話し合っていました。
だから、震災が起きて、それぞれが、すぐに避難した。
おかげで、家族のみなさん、無事でした。
無理して、家族と一緒に逃げようとして、逃げ遅れた人も多かったとのこと。
実は、陸前高田市では、海岸に住んでる人は、無事だった。
市内の人や、海が見えない場所で安心してる人に犠牲が多かった。
中には、せっかく逃げたのに、モノを取りに戻ったために、犠牲になった人も男性に多かったそうです。
佐々木さんからも、助かるか、助からないかは日頃の意識の違いだったことを教わりました。
お昼の後は、大船渡湾からバスで陸前高田市へ向かいます。
↑青い屋根の建物は米崎小学校。
体育館は、1ヶ月半ほど、遺体の安置所でした。
↑ やっと2年前に、イオンが出来ました。
↑ 他は、仮設のお店が多かったです。
今は、お店もでき、普通に車が通れますが、震災直後、道路もトンネル
も、よっぽどの緊急車両しか走ってなかった。
家に行くため、家族や友人を探す安否確認のために、人が水だけ持って歩いていたそうです。
↑ こちらは、震災遺構として保存されている、下宿団地。
5階建ての4階部分まで浸水していています。
高さは、なんと14.5m。
↑ こちらは、道の駅「高田松原」。
ピンクの丸を付けたところの14.5mまで浸水し、目印がありました。
こんな高さの津波が来たら、人はもちろん、車も建物もひとたまりもないですね。
↑ 奇跡の一本松。
6万8千本あった松も、建物も流失したなかで、一本の松の木が残り、生き残った人たちの希望となっています。
↑ 震災前の様子です。
↑ 震災前は白砂青松(はくさせいしょう)と呼ばれ、日本百景のひとつとして観光地になっていた海水浴場。
手を加えて作られた海水浴場で、震災後、ビーチの砂は2割くらいしか残ってなかった。
そして、松も、自然の松は残ったけれど、植林の松は、根っこが横に生えるので、みんな無くなってしまった。
震災で、なんでも、手を加えられたものは、みんな壊れてしまった。
残ったのは自然のものと、聞いて、自然の力がいかに、大きいかということを知りました。
↑ 震災遺構として保存されている、旧 気仙沼中学校。
こちらの中学校は、しょっちゅう津波訓練をしていました。
なので、誰一人、犠牲者、行方不明者が出なかった中学校です。
何もなかったら、メディアに出ないと聞いて、やはり、現地に来てこそわかる事実がたくさんあるなと思いました。
そして、昨日から、神社の鳥居をなんども見かけて気になっていました。
これだけの被害があった地域でも、神社・お寺・お墓は、流されずに残っていたそうです。
陸前高田ふっこうまちづくり情報館へ。
まずは追悼。
やませという冷たい強風が吹いていてとても寒かったです。
6月でもみんな震え上がるほど寒かったので、3月で、建物が流されてしまい、風を避けるものがなくなってしまっている状況では、本当に寒かったと思います。
やませをよける為に、壁を高くしています。
↑ 津波がくる前の陸前高田市です。
資料館の中では、津波が来てから、たった5分で、街が津波に飲み込まれてしまった様子の写真を見ました。
↑ 津波後は街が流されてしまっているのが、もう一つ上の写真と比べると、よくわかります。
たった5分で、街が一変。
津波が見えてからでは遅い。
見えてからでは靴さえ履いてる時間も、家族を探している時間もない。
すぐに、避難しなければいけないというのが、よくわかりました。
奇跡の醤油・八木澤商店
最後は奇跡の醤油を製造している八木澤商店へ向かいます。
テレビでも放送されています。
その前に、奇跡の醤油を使ったソフトクリームを食べれるカフェがあるとのことで、醤油ソフトを食べました。
しょっぱいのかな?と思いましたが、甘くて濃厚で、醤油が使われてるなんて、全くわからなかったです。
↑ 八木澤商店には、たくさんの種類のお醤油があり、醤油ソフトに使われていたのは、こちらの醤油。
今日は9代目の河野社長からのお話。
食品を作る会社として、添加物を使わない。化学調味料に頼らない。自分たちの目の届くところで生産をしていて、地元の人たちに、とても愛されている企業です。
震災前は赤字を出したことがなかった八木澤商店も、震災で、2億3千万もの損失があり、一気に債務超過になってしまいました。
そんな大惨事の時に、決意したのは、「社員を一人も解雇しない」。
ハローワークに行くと、「災害で、8割の失業手当が出るのだから、雇用を切ってください。」と言われたそう。
それでも、
帰る家も、街も流されてない。
家族を全員、失っている社員が何人もいる。
最後の社会的繋がりである会社が雇用を切ってしまったら、その社員はどうなるか。
なので、社員を切ることはしなかった。
震災後に八木澤商店に残ったのは2台のトラック。
陸前高田市は市役所も流されてしまい、救援物資が届く先もなかった。
だから、震災後に、5日かけて、家まで歩いて送り届けた社員を、呼び戻して、トラックを使って、救援物資の運搬をしていました。
そこで、地域の人が情報をくれたり、地元の金融機関が、ハンコも通帳も流されている中、顔パスで、社員のお給料と給料袋を用意してくれた。
白旗を上げている経営者仲間には、避難している親せきの家まで夜中に訪ねて、「諦めないでやろう!」と励ました。
地域が一丸となって、「一社も潰すな!一人も解雇するな!」とスローガンを掲げて助け合ってきた。
震災が起きたことがきっかけで、新しい顧客創造に、地元の今まで目を向けていなかった層。
海外にも目を向けて、フランスを中心に、ヨーロッパには、お店が100店舗を超える。
これだけの被害を被りながらも、それが、きっかで、震災前よりも成長している企業の河野社長の、
「人間、どうにもならなくなると腹をくくる。」
「食えなくなって、真剣に考える。」
という言葉に心が打たれました。
河野社長の感動的なお話の後は、こちらでも、地元にお金を落とすということで、みんなで、八木澤商店の商品のお買い物。
上の段の白いのが、奇跡の醤油です。
他にも、びっくりするくらいの種類のお醤油。
甘酒、お味噌、お菓子、だし、つゆと、いろいろあります。
商品は、こんな素敵な建物の中に並んでいました。
もともとは、糸井重里さんの親せきの旅館だったそうです。
八木澤商店でも、人と人との繋がり。地域の繋がりの大切さを教えていただきました。
源泉掛け流し温泉
工程終了後は源泉掛け流し温泉と夕食。
2日間の最後に、身体によい源泉掛け流しの温泉に入れるのは嬉しすぎます。
こんなに美しい夕焼けも見れました。
仙台に来たからには食べたい、牛タンのすき焼きも食べれました。
1ヶ月前に心筋梗塞で倒れた、鳥居先生と、またこうして、パーティー、ツアーとご一緒できて、本当に嬉しかったです。
「しかかりの仕事をきちんとやりたかった。」
「相馬さんが、大変な仕事をしっかり準備をしていた。」
だから、どうしても開催したかったと、鳥居先生。
ご自身が大変な状況でも、ファンのことも、いつもツアーのコーディネートをしている相馬さんを思う、鳥居先生の優しさ、責任感の強さに、今回も感激です。
鳥居先生の奇跡の回復。
そして、震災で生き残った人たちも奇跡。
その方たちが、私たちに、辛かった当時の様子を見せてくれたり、お話してくれたことも奇跡。
たくさんの奇跡がギュッと詰まった素敵なツアーでした。
今回もありがとうございます。
投稿者プロフィール

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スピリチュアルカウンセラーの伊藤仁美です。
今までは、彼に遠慮して、我慢ばかり。そんな苦しくて辛い恋愛を卒業して、運命の人に一番に愛されるようになります。そして、ありのままの自分自身を愛せるようになって、本当に自分らしく輝けるようになれるようカウンセラーとしてサポートしています。
詳しいプロフィールはこちら。
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