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伊藤 仁美です。
先日は、人財育成JAPANの永松茂久先生が主催の、知覧研修フォーユーさくらまつり〜翔〜に参加しました。
さくらまつりには毎年テーマがあり、作年は「飛躍」。そして、今年は「翔」。羽ばたくというテーマです。
2日間の知覧研修は、盛りだくさんの内容で、生きていく上でとても大切なことを、学び、そして、心で感じることもたくさんありました。
特攻隊員さんたちが命をかけて、残したかった日本に今はなっているのか。
守ってもらたった後世の私たちは幸せなのか。
「ところで、どう生きるのか?」を問い続ける時間でもあり、自分の悩みが悩みではなくなり、今後、どう生きていくか、たくさんのヒントを得られる時間でした。
私が知覧のこと、特攻隊さんたちのことについて初めて、本当のことを知ったのは、約10年前。
映画や劇に本や、詳しい先生から、学び、いつかは、知覧の地へ行き、現地でも学びたいと思っていました。
永松先生との出会い
私が、永松先生と出会ったのは、昨年の夏。ご著書の影響力が発売の時でした。
その時に、知覧での研修をやっているとお聞きし、永松先生のお人柄に惹かれ、次の開催の時に、是非、参加させて頂きたいとお話し、今回、参加させて頂きました。
永松先生は、なんと、12年間も知覧に通い、学び、そして知覧ホタル館特任館長でもあり、普通ではあり得ない深い学びの時間を過ごさせていただきました。
さくらまつりは、なんと、大学教授からの研究材料にもされているほどです。
素晴らしい内容なので、告知をしていないのに、こんなに集まってしまいます。
知覧とは
知覧について、簡単に説明すると、知覧とは、沖縄にいちばん近い最南端の場所であり、最大の特攻基地があった場所です。
終戦間近の1945年3月、アメリカ軍が沖縄の慶良間(けらま)諸島に全艦隊を集結させ、沖縄上陸作戦を開始させました。
兵力の差は歴然としているにも関わらず、沖縄上陸、そして本土上陸を阻止するために、20歳前後の特攻隊さんたちが、この知覧から沖縄に向けて、出撃していき、命をかけて、今の日本を守ってくださったのです。
そして、知覧といえば、富屋食堂を営んでいた、鳥濱トメさん。
富屋食堂は、軍指定の食堂となり、トメさんは、自分の財産を売っても、特攻隊さんたちに、出来るだけのことをしてあげたいと、とても面倒見が良くて、「特攻の母」と語り継がれている方です。
私には、大切な人がいますので、女性として、大切な人に何ができるのか。トメさんを始め、特攻隊さんたちの奥様や恋人、お世話をしていた女性たちから学びたいと思ったのも、今回、参加した理由の1つです。
知覧について、詳しくは、永松先生のご著書、『人生に迷ったら知覧に行け』 きずな出版 を読んでいただければ、知覧での出来事がよくわかります。
永松先生は、この本を書きたいがために、出版をするようになった。たくさんの本を出版している永松先生が、「もし、家が家事になって、1冊だけ本を持って行けるなら、この本を持って逃げる。」というほど、永松先生の魂が込められた1冊です。
貴重な資料が盛りだくさんの講話
そんな、さくらまつり、のスタートは、知覧茶屋で、鳥濱明久館長の講話からスタートです。
鳥濱館長は、特攻の母として語り継がれている、鳥濱トメさんの実のお孫さん。幼い頃から、トメさんや、腕がなくなっていたり、半身火傷があったりした生き残った特攻隊さんたちから、当時のお話を聞いていた方です。
当時は、言論の自由がありません。
なので、「にっこり笑ってお国のため」という文書がありますが、それは軍の中でのこと。
戦後から74年が経ちましたが、たった74年間で人間は変わりません。
20前後の若い特攻隊さんたちも、本当は生きていたかったし、怖かった。だけど、誰かが、行かなければ、愛する家族も、故郷も、疎開している子どもたちも、みんな焼け死んでしまう。
愛する人と、愛する祖国の未来のためにと、74年前の設備も整っていない飛行機で、命をかけて沖縄に飛んで行ったのです。
もちろん、当時はレーダーもGPSもありません。島なみに沿って、経度・緯度を見ながら650キロもの距離を2時間も飛んで行きました。
当時、特攻隊さんたちが、使えたのは軍事郵便のみ。
富屋食堂には、軍事郵便には出せない手紙や写真があり、貴重な資料もスライドでたくさん見せていただきました。
お一人、ご紹介すると、こちらの藤井中尉。29歳です。
藤井中尉は、少年飛行兵の精神を教育する教官です。教え子たちだけを行かせて、安全なところにいる自分を責め、何度も特攻に志願します。
ただ、飛行兵として、29歳というのは年齢が上すぎるのと、藤井中尉には奥様と2人のお子様がいます。なので、特攻の許可がおりませんでした。
そんな、藤井中尉のことを想った奥様は、「私たちがいては、思う存分活躍できないでしょうから、先に行きます。」
と12月の冷たい荒川に、2人のお子さんを抱き、身を投げたのです。
妻子の死を無駄にしまいと、藤井中尉は、再び、特攻に何度も志願をし、ようやく、特攻の許可がおります。
藤井中尉は飛行機の操縦ができないので、教え子の後に乗って、特攻に出撃します。
その藤井中尉の、絶対に特攻を成功させるという強い決意は奇跡を生みます。
その二人乗りの飛行機は、一度は墜落しそうになったにも関わらず、水面ぎりぎりで浮上し、アメリカ空母に突っ込み、特攻は成功。
29歳という若さでの、藤井中尉の教官としての責任感の強さ、奥様の愛情に言葉が出ません。
他にもたくさんの方のエピソードをお聴きし、そこまでして、残してくれた今の日本。私たちは幸せで、日本は胸を張っていい国だと言える国にしていくために、何ができるかを改めて考えました。
史跡ツアー
講話の後は、バスで遺跡ツアーです。
永松さんと同じく、特任館長の武田先生。「鳥濱明久館長の意志を継ぐ!」と知覧の史実にとても詳しく、私たちみんなの人生がよくなるように真剣に、そして、時にはユーモアたっぷりで、たくさんのこと教えていただきました。
まずは、三角兵舎跡。
三角兵舎というのは、特攻隊さんたちが、最期の夜を過ごした、隔離された場所です。一般の人も動物すらも入れません。
最期の夜、逃げ出さないように、怖がっている姿を隠すためであったとも言われています。空気が冷んやりした冷たい階段を登っていきます。
階段を登った後は、人が来ないので、コケが生い茂っています。
三角兵舎はレプリカもありますが、レプリカよりも実物はずっと小さいです。
たったこれだけのスペースなのです。敵にみつからないように小さくしなければならなかったからです。
周りも木で囲み、屋根の上にも木の枝を乗せて隠していました。
周りには柱があるので、体を伸ばして寝れないほどのスペースしかありません。
これが、神と呼ばれる、特攻隊さんたちの最期の夜をすごした場所です。
いつ出撃がわからずに、過ごす最期の夜。どれほど恐怖だったことでしょう。出撃とわかるのは、真ん中の細い道を通って、特攻隊さんたちを飛行場まで運ぶ車の音が聞こえてきた時です。
こんな細い道を、飛行場まで、どんな気持ちですごしていたのでしょうか。
私は、もし最愛の人が、これが最期の夜だったとしたらと考えてみました。すると、心臓を潰されるような痛み、そして、目の前がぐらぐらし始めて、気絶してしまいそうだったので、途中で妄想ストップ。
映画、『俺は、きみのためにこそ死ににいく』に、富屋食堂に、婚約者を訪ねてくる女性が、トメさんから「出撃しました。」という言葉を聞いて気絶してしまうシーンと重なりました。
日頃は、パートナーシップで悩むこともありますが、明日という未来があるからこそ、先のことが悩めるのだということに気付きました。愛する人がいて、明日という未来がある。それだけで、どれほど幸せなことだろうと、日頃の悩みが悩みでなくなりました。
特攻隊さんたちが見た最期の景色
次は、芋畑と茶畑の道を走って、特攻隊さんたちが見た最期の景色を見に行きました。
バスが入れないので、険しい道を歩いて登りました。
そこを抜けると、開聞岳(かいもんだけ)が見える場所に到着です。今回は曇っていて開聞岳が見えませんでした。
ここは、平地がある、盆地。飛行場が作れて、隣には、富屋食堂のある町があります。盆地のため、爆撃を受けずに済んだ、自然の摂理で恵まれた場所です。
今では、茶畑が広がっていますが、当時は、運動場のように飛行場が作られていました。
今の飛行場は細い滑走路がありますが、当時は爆撃を受けて穴だらけになっても飛行機が飛べるようん運動場のように飛行場を作りました。
しかも、当時、機械はないので、人の手で押しかためて作った人力の飛行場です。
薩摩富士とも言われた開聞岳は活火山なので、火山灰で昼間でも海はドス黒かったとのこと。
そして、飛行機はジェットコースターのように、乗ったら自動操縦ではありません。
自分で操縦するので、敵艦に突っ込む時には、スロットルを自分で前に倒すのです。
ドス黒い海を最期に見ながら飛んで、スロットルを自ら前に倒すのは、どれほどの恐怖だったことでしょう。
そして、最期と決めて飛んで行っても、飛行機の不調で引き返したり、もう一度飛んで行かなければならないこともあります。
本番のBBQ
さくらまつりの本番は、桜並木の下でのBBQのようです。
こちらの、桜並木は、映画、『俺は、きみのためにこそ死ににいく』のラストシーンで出てくる桜並木です。
桜の間の灯篭。こちらには、特攻隊さんたちのお名前や、姿が描かれています。
そして、私がラッキーだったのは、2日目のセミナーの講師、千葉修司さんと、もともとお知り合いで、BBQもご一緒させて頂いたこと。
奥様のやすよさんにもとても親切にしていただき心強かったです。
劇団の社長さんや、俳優さんたちと、たくさんの方が、千葉さんに挨拶にいらっしゃるので、横で、いろんなお話を聞かせていただきました。
こちらは、紅白に出場するお二人ですよ。
千葉先生が作詞した、『英霊ぼくらはここに‥』の歌と、特攻隊さんの声で登場しているお二人です。
楽しく盛り上がっていると、美しい大きな夕日が見れて感動です。
過去にも三分咲きだった桜が、みんなのエネルギーで八分咲きになったこともあるそうですが、今年も、夜には、みんなのエネルギーで桜が開きました。
夜桜のライトアップも美しくて感動です。
冷え込んできた頃には、鶏飯(けいはん)を出してくれました。
こちらは、鳥濱明久館長が、24時間かけて、にんにく、しょうがなどの薬味を使わずに、鶏と鰹を弱火でじっくりと作ってくださいました。
時間と手間をかけて作ってくれた鶏飯の、あまりの美味しさに、またまた感動です。
そして、献杯の誓い。
トメさんと特攻隊さんたちと、この一年の誓いを各自が立てます。
この誓いを立ててから、どう過ごしたか。昨年も参加した方は、報告の時間でもありました。
知覧茶やでの驚きの発表
献杯の後は、通常だったら、15時まで営業の知覧茶さんが、なんと、夜も貸切にしてくれました。
知覧茶の懇親会のスタート前に化粧室に行っていて、出遅れた私。知らない人たちばかりで、みなさん膝を付き合わせる距離で楽しそうに盛り上がっている。
どこに座ろうかオロオロしていたのにいち早く気付いて、声をかけて下さったのが、永松塾生でもあり、今回、スタッフとしてもお手伝いしていた、原田さん。
みなさん、とてもいい方たちなので、初対面にも関わらず、思わず、私の個人的な悩み。今回、一番答えを持って帰りたかった話題をなぜか話してしまったほどです。
それでも、涙を流しながら聴いて、真剣に答えてくれて、そのあたたかさに感動しました。
そして、日中、お見かけして、とてもオーラがあり、存在感があるので、何してる方なのかな?と気になっていたこの方。
実は、鳥濱トメさんの実のひ孫さん。トメさんに生まれてばかりの頃、抱かれていた写真があるそうです。
知覧茶での最後に、なんと、4代目の館長に、鳥濱拳大さんが任命されたという発表。
左から、3.5代目館長の永松先生、4代目館長の拳大さん、3代目館長の明久さん、3.5代目館長の武田先生です。
何より驚いたのは、拳大さんの年齢が28歳と、同世代なこと。
明久館長も、知覧茶を継いだのは、27歳とのことです。
戦時中のことは、年長者の方から学ぶものと思っていましたが、もう私も発信する側なのだなと、はっとさせられました。
戦後の教育はひん曲げられてしまい、現代の教育では、残念ながら、本当の歴史についても、幸せに生きる知恵を教えてもらうことはありません。
私も、幸運なことに、こうして、本当の歴史を知れたのは10年前。
知らない人たちに対して、発信していく側だなと思い、こうして、まずは、ブログで発信することにしました。
長くなったので、感動の2日目は別記事に書きますね。
投稿者プロフィール

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スピリチュアルカウンセラーの伊藤仁美です。
今までは、彼に遠慮して、我慢ばかり。そんな苦しくて辛い恋愛を卒業して、運命の人に一番に愛されるようになります。そして、ありのままの自分自身を愛せるようになって、本当に自分らしく輝けるようになれるようカウンセラーとしてサポートしています。
詳しいプロフィールはこちら。
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